8世紀(700)・・・分裂と争いと権力
【欧州】 ローマ教皇領土の拡大はじまる(バチカン確立) AD.755
東西に分裂(東ローマ帝国、西ローマ帝国) AD.962
【日本】 平城京へ遷都 AD.710 平安還都 AD.794
「源」姓 (AD.814) と 「平」姓 (AD.825)
8世紀(AD700)~
◎701
・[大宝1] 大宝律令が完成する
◎703
・[東欧] イスラム軍、アルメニア侵入
◎706
・[日本] この年疫病が流行(初めて土牛をつくって疫病を祓う)
◎708
・[日本] [和銅1] 武蔵国から自然「銅」が献上され改元
律令に基づき、貨幣に対する令が発布される
◎709
・[中央アジア] イスラム軍、ボスフォラスを占領
◎710
・[日本][和銅3] 平城京に遷都する (奈良時代→ 784)
・[北アフリカ] イスラム軍、タンジールを占領
◎711
・[西欧] イスラム軍、西ゴート王国を滅ぼしスペイン征服(→ 1492)
◎712
・[日本] 「古事記」、太安万侶が撰上
◎713
・[日本] 「風土記」、編纂を諸国に命じられる
・[中央アジア] イスラム軍侵入
◎720
・[日本] 「日本書記」、舎人親王らが撰上
◎8世紀半ば
・イスラム軍、ハザール汗国に侵攻、改宗を迫る:(ユダヤ教へ改宗)
◎741
・[日本] 741 国分寺、国分尼寺の造営が詔を発せられる
743 大仏造営の詔が発せられる
747 東大寺大仏の鋳造が開始 (この年、早害により大飢饉)
752 大仏開眼供養に行幸
◎752
・[日本] 奈良、東大寺の大仏殿、建造
◎754
・[西欧] フランク王国が、教皇領土を寄進
◎755
・[中欧] ローマ教皇領土の拡大はじまる(バチカン確立)
◎759
・[日本] この頃、「万葉集」できる
◎780
・[唐] 両税法の施行
◎794
・[日本] 平安還都
◎800
・[西欧] 西ローマ帝国の復興
9世紀(AD800)~
◎804
・[日本] 遣唐使船出発、最澄・空海が同行
◎805
・[西欧] フランク王国であらゆる組合が廃止される
◎814
・[日本] 嵯峨天皇の子女に「源」姓が与えられる
「新撰姓氏録」が撰上
◎816
・[日本] 最澄・空海、高野山に道場を開くことを許される
→ 819 紀伊国高野山に金剛峯寺を建立
◎823
・[日本] 比叡山寺を改め延暦寺と称する
◎825
・[日本] 高棟王に「平」姓が与えられる(桓武平氏)
◎860
・[西欧] ノルウェー人のアイスランド植民が始まる
◎867
・[欧州] ローマ・カトリック教会とギリシャ正教会の分裂傾向強まる
◎880
・[東欧] 東ローマ軍が、イスラム軍に対し優位を保つ
◎894
・[日本] 遣唐使廃止(菅原道真の建言により)
◎897
・[中欧] ローマ教会内の党争が激化する
10世紀(AD900)~
◎900
・[新羅] 後百済、建国
◎905
・[日本] 古今和歌集の撰上
◎919
・[中欧] ドイツでサクソニア朝が成立、東フランク王国が初めて「ドイツ王国」と記される
◎922
・[中欧] ドイツがイタリアの支配権を得る
◎962
・[中欧] 神聖ローマ帝国建国 (ドイツ・オーストリア・チェコ・イタリア北部)
→ オットー大帝が神聖ローマ皇帝となる
◎964
・[中欧] オットー大帝がイタリアを制圧
◎966
・[中欧] オットー大帝の第3回イタリア遠征
・[東欧] ポーランドがローマ教会信仰を受け入れる
◎969
・[北アフリカ] ファティマ朝がエジプトを占領、カイロ市建設
◎970
・[中欧] ベネチアが奴隷売買禁止令を発布
◎974
・[中欧] オットー2世がデンマークを破り、ドイツの支配権を認めさす
◎975
・[宋] 南唐を滅ぼす
・[中欧] オットー2世のベーメン遠征
◎977
・[中欧] シチリアのイスラム軍、南イタリアへ侵入
◎978
・[西欧] オットー2世がパリを囲む
◎981
・[中欧] オットー2世が南イタリアに侵入
◎982
・[中欧] オットー2世が南イタリアでイスラム軍に敗れる
◎992
・[中欧] ベネチアが東ローマ帝国から特権を受ける
◎994
・[日本] 九州に疫病が発生、諸国に流行し、京に広まる(五位以上67人が死亡)
北野船岡山で御霊会が行われる
高野山金剛峯寺、大塔・講堂が焼失
◎995
・[日本] 疫病、引き続き流行(五位上63人が死亡)
◎996
・[中欧] オットー3世がイタリア遠征
・[高麗] 初めて鉄銭を鋳造する
◎997
・[中欧] オットー3世が再びローマに遠征
◎998
・[高麗] 日本、九州を侵す
◎999
・[日本] このころ、祇園を中心に御霊会さかんに行われる
◎1000
・[中欧] ポーランドとハンガリーが「神聖ローマ帝国」に併合される